三年前の2014年2月に書いた 「時」 のリバイバル版です。

久しぶりの休日は「雨」。
ラジオを聴いていると、なんでも昨日からの強風と雨は春一番だったようだ。
その天気は本日の日曜まで雨をもたらしている。
 
こんな時は、溜まった仕事をやっつけるか、晴耕雨読に徹するか、温泉に行くか、優雅に昼酒と酔っぱらうか・・・、いずれかの行動が、いつもの生活パターンである。
歳をとったのか、日ごろから早寝早起きの習慣が身について、休日でも早朝の4:30には目が覚める。
昨日は釣果に恵まれなかったツケで、買い出しの肴を酒のおともで深酒。
しかしいつもより遅く寝込んだ割には早く起きてしまった。

家族がまだ眠ていることをいいことに、まずはいつものようにコーヒーブレイクである。
いつもの儀式であるため手際よくコーヒーを淹れる。
本日は「モカ」と「キリマンジャロ」のブレンドにしてみた。
ものの10分後には部屋中がコーヒーの香りに包まれる。
コーヒーカップを片手に、自分の書斎に入り、古いレコード盤に針をのせる。
40年前から耳にしている音楽が静かに流れる。
何気ない平凡な「時間だけど、この一瞬が輝きをはなつ。 


毎回思うんだけれど、こんな何気ない一瞬の贅沢さに気付かされ、心が満たされる。
自分の書斎にこもり、月曜からの仕事に取り掛かる。
こんなシーンの時は仕事がはかどる。
水が湧くが如くアイデアがあふれ出てくる。
3時間も集中したためか、10:30には全て完了。
月曜が楽になったと、一人でほくそえむ。
 


あっそうだった、今日は「東京マラソン」が放映されているんだった。

すでにスタートして1時間30分以上が経過しており、テレビのスイッチを入れると先頭集団が映し出される。
その中に、日本期待の今井選手や佐藤選手の姿がある。
解説からは日本記録並みのハイペースでレースが展開されているという情報がながれる。
そのままコタツをつけ寝観戦といく。
最終的には今井選手が日本人トップの2時間7分台でフィニィシュ!

すごいなと感心するが・・・頭に思い浮かんだことは、2時間以上も楽しく走れて、なんて羨ましいことか。ということ。
それも自分が描いた目的に向かって時間との闘いを楽しんでいる。
こんなに「時」を大切にできる人は毎日充実した生活をしているんだろうなぁ、と感心する。
 


私の日常を振り返ってみる。
趣味や、やりたい事が山ほどあって、優先順位をつけて生活することがライフワークとなっている。
もう半世紀以上生きてきたけど、まだまだやりたいことが多い。
 
例えば副業みたいにしている「船釣り」にしても、最初は一年計画から始まる。
春夏秋冬と季節によって狙う対象魚が異なるからだ。
オンシーズンとオフシーズンがあるし、天気との駆け引きもある。
次に毎月の潮を見て、おおまかな釣行の計画をつくる。
そして直前の天気の状態を見て海にでる。
 
いつ海へ出ても釣れるというわけではない。
自然相手の遊びである。

もしも運悪く「雨」だとしても、その時はちがうことをやる。
できないからといって「時間」を無駄にしないことが生活の根底にある。
 


平日は体づくりと気分転換と称して「ジョギング」をする。
何故走るのかは次の機会に振り返るとして、生活の一部だからであると答えておこう。
もしも雨なら、温泉に行くか、早くから美味しい肴でお酒を飲むかである。そして、早く寝る。
全てにおいて、毎日何をしようかの選択がいる。


毎日がこの繰り返しであるが、その一つ一つの行ないの中に、「お金」では買えない風景があったり、汗があったり、発見があったり、情報があったりする。
小さいことではあるが、日々の「生きる」という行いを、充実させてくれるものがある。

「日本人の余暇の過ごし方」 なる情報誌を見たことがある。
その中に、 「日本人ほど人生の楽しみかたをしらない民族はいない」 ような記事を見た。
価値観の差であるとは思うが、確かに当たっている。
 


東日本大震災の時に福島原発が被災し、多大な被害と人命の損失のもと、原子力の有意が問われ、電力の消費が見直されたが・・・
いまだに田んぼを埋めたて、大型パチンコ店が軒並み建設されている。
その問題は次回考えることにして・・・

よくもまぁ人が集まるもんだと感心する。
早くは10:00~閉店の10:30まで、ほとんど一日をパチンコ店で過ごす人も少なくはないようだ。
 
私はそんな生き方はしない。
タバコが嫌いなこと、じっとしているのが苦手なこと、お金がない事を除いて、いつも思うのは
「大切な時間、パチンコなどに奪われてたまるか」
ということ。
 
人間寿命があることは当たり前なお話だが、お金や一瞬のときめきのためだけに時間を費やすことは、 「損」 をしたと感じる。
その行いに、たとえ勝てる保証があったとしても・・・だ。
天邪鬼な俺にしてみたら、そんな都合のいい生き方は、性に合わないし・・・バーゲンセールに群がるような真似だけはプライドが許さない。
 
ここでお金のお話。
もしも100万勝てたらという想像をしてみる。
豪遊をしてもせいぜい20万前後、毎日は飽きる。
買いたいものを買っても車は買えない。
ロレックスの時計を買っても1個あればいいし。
そんなにお金があっても死に金になる。
ましてや、毎日100万勝てる保証があり、その事で毎日ギャンブルで金を溜めようなんて気にもならないし、さっきいったようにプライドが許さないし、俺の「生き方」に合わない。
もしも一億円貯めたとしても、  「心」 が充たされない。
そんな「金」は「あぶく銭」だし・・・その人の「生き方」における価値観の問題だろう。
 

だからパチンコというか、ギャンブルは嫌いだ。
中途半端(金額の事じゃなく、かせぐプロセスの問題)なお金しか手に入らないと思うのに、貴重な時間を浪費するからだ。

 
「時は金なり」という格言があったり
「お金で時間は買えない」
という言葉があったりするが、「時」にルーズな人間には「猫に小判」であろう。



よく「昨日パチンコで○○万勝った」というお話を聞くが、全く羨ましくおもわないし関心が無い。
私の大切にしていることは、「お金」そのものではなく
「苦労して得たお金」
であるし、お金を介して必要な「物」や、大切な「人」や、自分の「時間」に生かし、「生きる」という行いの中に還元できたときにある。
一攫千金なんて性に合わないし、「心」が満たされない。
手に入れたいものは、「金」だけでなく、苦労して手に入れるというプロセスを経てこそ、「愛着」につながるものであると思う。
 

季節ごとにその表情を変える自然
例えば走っているときに感じる「風の匂」。
田んぼ一面に咲くレンゲソウの風景。
雨に打たれて駆けるアスファルトの水溜りの冷たさ。
春霞にしずむ太陽や晩秋の真っ赤な夕焼け。
どれもがその「時」にしか見せない一瞬の自然の輝きを放っている。
そしてそれらは少しの意識の持ち方で、自然からの贈り物として自分にとっての宝物となる。

「時」を無駄に過ごす人は、どれだけの札束を積んでも、そんなことに巡り合うことはできないだろう。
いや、その「時」にいても、気づかないだろう。
それは「価値観」の問題だから。

だから今日も「時」に寄り添い自分に与えられた今を生きる。
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