2017.01.29 戦友達
もう本当は、記憶も定かじゃなくなるくらい過去の思い出となっているはずであろう・・・凡人たちにとってはね。
でもプリンにとっては、年を重ねるたびにその記憶の形が鮮明に形どられてくる・・・戦友達と過ごしたあの四年間の思い出。
多感な青年期の出来事という理由だけじゃない。
ともに耐え忍んだ「奴隷」の時代。
わがままをしまくっていた頃。
失恋したときに涙酒に付き合ってくれたヤツら。
怖かった先輩。

ただ時間の流れに乗っかって流されていれば、思い出すことさえもなかっただろう。
でも、時には流され、時には逆らい、時にはあがき、大人の入り口にたどり着いた戦友たちと俺。
32年の時が過ぎ、中には頭が薄くなり、白くなったり、恰幅がよくなったりと・・・外見は32年の苦労が物語ってるけど、気持ちはみんなあの時のまんまだ。


不思議と中学や高校のヤツらとは、こんな気持ちにならない。
逢おうとも思わない。何でだろうなぁー?




俺のペンネームの「プリン」の由来をここで話しておこう。

高校まで、僕は無口で、はたから見ればおとなしく、何を考えている奴なのかよくわからない・・・なんていうイメージがあったようだ。
実際、女の娘の前に出れば「赤面」してしまうほど、自分に「自信」がなかった。
その理由は、当時「学力」の物差しとされていた・・・テストの点数や通信簿の数字が、低かったためである。(美術と体育は・・・オール5だったけど)
ほとんどが真ん中で、たまに、あひるさんや電信柱が立っているような感じだったから、同級生からは男も女にしたって、その頃はやった漫画の主人公の名前だったと思うんだけど、誰が言ったか分からないけど 「パープリン」というあだ名が僕につけられた。

その主人公の行いが、頭が悪く道理を外れていたり、突拍子もないことをしたりするから・・・僕の行動が似ていたんだろう。
振り返ってみても、勉強はできなくても、走ることは県チャオンにもなったことがあるから、行動のギャップが大きくて、つかみどころの無いヤツ・・・みたいな印象があったんだと思う。
悪さもしたし、同級生にいきなり「浣腸ぅー」なんてしていたからね。
でも大筋「勉強ができなかった」というイメージが強かったんだろう。
みんなに「パープリン」と、いつも言われていたからね。
だから大人になった今、ペンネームにあの頃のイメージを逆手にとって「プリン船長」とつけているわけ。
僕的には何気に気に入っているんだけど。


大学時代の同級生は、僕の事を「パープリン」なんて言うヤツは誰もいなかったし、東京での4年間で僕の人格が180度変わったことは僕自身が自覚していることだ。
女の子に対しても積極的?に声を掛けれるようになったし、大学4年間で僕のアドレス帳にはだいたい30人の女の娘のアドレスが記載されていた。
そして何故か、大学の単位も上位のSがほとんどである。(自慢です)


この年になって、忌野清志郎にあこがれているんだけど、幼少時から青年期までの生い立ちが清志郎に似ていることもあるし・・・(同級生は僕の本当の生い立ちは知らない)
その頃の性格までも似ているし、今、大人になってからの考え方も共通点が多いし・・・
違う事と言ったら、清志郎は「ギター」、俺は「かけっこ」に没頭したことだろう。
「大器晩成型」なんだろうとこの頃思う。



そんな僕に、昨日、戦友のたつおから
「今、たけのや先輩と、まなぶと、としまさ、と呑んでいるぜ」
という連絡が携帯からとどいた。

たつお君は、「プリン船長」のフリークで、新しい記事を出せば、「読んだぜ」という印に「拍手」をくれる。
「どこで呑んでるんだよぉ」
と聞くと
「上野だよ」
と。いつかBlogで紹介した「大統領」じゃなくちがう所だと。
「いいねぇー」
というと、みんな一人一人に替わってくれる。

プリンにとって、「東京」は遠いという認識はない。
少々お金はかかるけど、来週でも「呑みに来いよぉー」と誘われたら、気まぐれで即飛行機に乗れるような近所的な場所だ。

先輩に替わってもらった時は、1つ上の先輩という事で、今でも少々緊張する。
実はこの先輩は 「青葉台物語」でプリンが先輩だとは思わずに「ため口」をきいて怒られた先輩である。
でも、今となっては懐かしい思い出だ。
一度東京へ行った時に、親しく飲み屋へ連れて行ってもらったこともある。
「プリン船長」を見てくれているという事をきいて、少し恥ずかしく思ったけど
「嬉しかったです」

まなぶ君もとしまさ君も見ているという事。
「見たら拍手いれてよ。よろしくね」
今年や来年の「箱根駅伝」には「東京」へぶらっと遊びに出てきます。元気でいろよ
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